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苦しみの上には苦しみが

もう10年間も病気をやってきて、大概の苦しみは体験したと思っていました。

それが、10年目にしてまだ上があるのだということが分かりました。

周囲が分かってくれないとか、治らないとか、働けないとかそういう苦しみは「自分の」苦しみです。当然、いっぱいいっぱいで周囲のことなど考える余裕はありません。私が今、感じている苦しみはそれらとは次元の違う苦しみです。

その苦しみに耐えて何週間かを過ごし、少なくとも、自分を助けてくれようとしている人に対しては、たとえ自分がどんなに苦しくても配慮しなければ、もっと苦しくなるということが分かりました。

理解者が少ないことで悩んでいる人も多い中で私には絶対的に信頼をおける人が少なくとも4人はいました。そして病院の主治医の先生やスタッフとも信頼関係があります。今から思えばなんと恵まれた環境にいたのだろうと思います。

私の一番身近にいてくれた人が入院してしまいました。元々その人も精神の病だったのです。その人が出していたSOSをことごとく見逃し、自分の苦しみだけに私がとらわれていたために、入院することになったのではないかと思っています。もちろん、大きな引き金となる事件があったのですが、私が助けなければならない時に助けられない辛さ。これは自分の苦しみなどはね飛ばしてしまうほど大きなものです。

具合が悪すぎて私と面会する気力もないようですし、電話も無理のようです。

こういうのを「自業自得」というのだなと身に沁みています。
「後悔」とも言います。

自分が苦しかったんだから仕方なかったというのは簡単です。
でも、今の苦しみを味わうくらいなら、自分の苦しみに耐えていたほうが良かったと思うのです。

私の元々の苦しみは主に「不安」、特に「予期不安」です。悪いことが起こるのではないかと、早くいえば取り越し苦労。これはこれで、病的レベルになると、なかなか自分でコントロールできないものなのですが、今、私は、それを吹き飛ばした苦しみに一人で(いろんな人の助けを得ながら)耐えているのです。

今までは、それだけ「苦しみから逃げる」ことばかり考えて、向き合おうとしていなかったということだと思います。周囲に支えてくれる人がいるから、甘えていたんだと思います。
正しく甘えることは必要です。支援なしには生きていけません。でも、私は間違えて甘えていました。相手の辛さを考えずに。「今、この人に私が頼ったらこの人が辛い。支えきれなくなる」ということを考えませんでした。

少しはかかわってくれるけど、私が満足するほどの「回数」かかわってくれない人がいます。信頼できる4人のうちの1人です。忙しいというのもあるのですが「自分が一番」ということが分かっている人だと思います。共倒れになっては意味がないのです。そういう人に対して「冷たい」という感情を抱いたこともあります。でも、今はそうではないと分かります。私を大事な友人だと思ってくれている人が「あえてつきはなす」ということをするのがいかに辛いか。冷たいなんてとんでもないことです。深い考えの上の行動だったのだと今なら分かります。

もう一人は父親です。だいぶ甘えさせてもらっているので、自粛するようにしています。自粛しているくらいでも、だいぶ甘えているので、ちょうどいいのです。

そして、不思議なことに、この「自分の辛さ」よりも辛い状況になって、幾度となく泣きましたが、「うつ」の涙とは違うのです。
普通の「涙」です。

「うつ」の涙は絶望の涙です。泣けば泣くほど苦しくなります。
でも、今の「後悔の涙」は心の中が洗い流されるような気がします。
泣いた後は少しすっきりして頭の回転もよくなるようです。

こんな状況になって、自分で向き合うしかなくなって、頭を使って考えて初めて分かることでした。

こうやって、ひとつひとつ失敗しないと人は学べないものなのだとあらためて思いました。

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心と体」カテゴリの記事

コメント

みーちゃんさん今晩は。
アバウトミーの方ではいろいろお世話をかけました。
ありがとうございます。

いろんなことがあったんですね。
自分の痛みと周りにいる人の痛み、両方を理解して行動されているなんてすごいです。
私にはできません。
信頼できる人もいるようなので、自分の感情をそのままぶつけても良いのではないでしょうか。
そういうことはしてはいけないのでしょうか。
私とは次元が違う悩みなんですね。

投稿: yoshi | 2009年4月20日 (月) 22時26分

古い他の日記も良かったら読んでみてください。すごいなんて、とんでもないですよ。YOSHIさんのほうにコメントしておきますね。

投稿: みーちゃん | 2009年4月20日 (月) 22時42分

みーちゃんさん、当方ブログへのコメントをありがとう^^。
ある書物で目にした話なのですが、いわゆる「うつ」を患う人には異性の親を(自分の存在が承認されてこなかったと)恨んでいるケースが多いそうです。つねに相手(異性の親やその代役)の側に求め、変わることを期待し続けてしまうことによって、自分自身を闇に閉じ込めてしまう。
異性の親を許す(ありのままをそのままでいいと認める)、さらにそれを課した自分自身を許す、という癒しのプロセスによって闇の出口を見ることができるというものです。
ワタシ個人にはかすかな光明を得るヒントになりました。
「甘える」ことを自分に許し、相手が応じてくれない時にはそれを許し、…そして応じてもらえた時に、素直に感謝や喜びを感じることができるようになれれば素敵なことだと思います^^

投稿: dryangle | 2009年4月21日 (火) 09時12分

dryangleさん
何十年も前、私は異性の親に対して期待を持ってましたが憎んではいませんでした。
今現在、私を支えてくれているのは友人と異性の親のほうです。まあ、こちらのほうは、偶然の偶然が重なったからであって、それがなければ憎んでいたかもしれませんが…。

逆に同性の親に同情し助けたいと思っていましたが、今は憎んでいるのかどうかも分からないほど混乱し会えない状態になっています。

投稿: みーちゃn | 2009年4月21日 (火) 19時03分

前のコメントでは、『恨み』という言葉を「憎む」という意味ではなく
「心残り」や「未練」、それに伴う「悲しみ」や「嘆き」というニュアンスで
使わせていただきました。
うまく伝わっていなかったとしたらゴメンナサイね^^;

私事ですが、ワタシがある程自分を客観的に見ることができるようになった時
それまで話を聞いてくれていた友人が
「前は親に対して未練タラタラっていう感じだったもんね~!」
とサラッと言った言葉にハッとしましたっけ。
自分では親に対する憎しみや怒りの気持ちを吐露していたつもりだったのですが…
『心残り』や『未練』といった言葉が妙に腑に落ちて、自分の気持ちに気づいて
あげることができた嬉しいような変な感慨がありました。
もちろん今でも『心残り』や『未練』の気持ちがタップリ残っているのを自覚して
いますが、なだめながらうまく付き合えるようになってきたように思います。

みーちゃんさんも、少しづつ、少しづつ、自分の本当の気持ちを発見できて
心の整理がついていくといいですね。
ぜひまたお立ち寄りください。

投稿: dryangle | 2009年4月21日 (火) 20時42分

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